植月真澄『日本人なら身につけたい江戸の「粋」』
今回私が紹介する本は、植月真澄さんの『日本人なら身につけたい江戸の「粋」』です。
江戸時代のイメージ。徳川幕府による士農工商のガチガチの身分制度が作られ、武士以外の人々は差別され、窮屈で大変な日々を送っていた。
でもこれは全然違います。
意外なほどに江戸時代の人々はのびやかに暮らしていた。
中でも江戸の人々は生き方の達人でした。
江戸っ子の美学【粋】
江戸っ子の美学というのがあって、粋に生きるための3つの条件というのがあります。
- 1 気持ちや身なりがさっぱりと垢ぬけていること。加えて、色気と気品があること。
- 2 人情の機微に通じていること。(自分本位、自分勝手はご法度)
- 3 洒落ていること。(現実を突き放して面白がってしまう精神)
粋に生きることが江戸の人の美学でした。
「洒落てるなぁ」っていうのはこのことですね。
江戸時代の隣人との付き合い
隣人との付き合い江戸の人々はどのように付き合っていたのか。
この写真は多くの江戸の人が住んでいた建物ですね。
下町のほうにはこういうのがあるみたいですが。壁も1枚隔てただけ。
防音設備もないので声が筒抜け。同じ部屋に住んでいる感覚だったそうですね。
江戸には100万人くらい住んでいた。
江戸には江戸っ子はあまりいない。地方からやってきた人がほとんどだった。
みんな同じ身の上だったので、お互いを思いやる精神が形成されていました。
聞いてはならないことというのがあります。
あなたどこから来たの?って聞いてはならない。家族構成もそう。
要するに詮索するなってことですね。その人の実情っていうのも根掘り葉掘り聞いてはならないっていう。これ聞かれて嫌な人は多かった。
初対面の方は聞いてしまうのが普通だと思います。
じゃあどうやって会話したのか。普段の会話では他愛ない会話をする中で、いろんな情報がはいってきます。
その断片的な情報を自分の中で整理して、「この人は自分のことが好きなんだろうな」とかイメージする。
おそらくこういう過去があったんだろうなって思う。
自分でイメージを作り上げるのが江戸時代の人の付き合い方だったそうです。
長屋に住んでいる人は壁1枚だけ。隣の人がちょっとした陰口叩いていたら当然聞こえる。
でもそれに対して隣の人は聞こえないふりをする。うっかり見てしまった場合もみていないふりをする。
必要最小限の付き合いはするけど、深掘りはしない。
ただし、夫婦喧嘩などのトラブルが始まると積極的に止めるということをしたそうですね。
あと病気などで困っている人がいれば、必要な食べ物を持っていくなど助け合ったそうです。
江戸時代の子育て
10年間は面倒見ないといけないという感覚があった。
弱いものいじめをしている人がいたら自分の子供じゃなくても叱っていたそうです。
孤児とか迷子とかもたくさんいました。町内の世話役が親とかいないか積極的にさがします。
見つかったら無事に引き渡す。それでも見つからなければ、お金を出し合って育てたそうです。
いまの日本は核家族化している。夫婦2人で育てないといけない。
だから江戸時代の社会全体で育てるという感覚はみならわないといけないと思います。
江戸時代の教育
百姓なら百姓往来、商人なら商品往来、職人なら番匠往来など専門を学ばせた。
これは年齢別のクラス分けはありません。年長が年少の子を教えて、面倒をみるのが当たり前だった。勉強嫌いな子に無理強いはしない。
好きなことをしていても全くとがめられることはなかったそうですね。勉強嫌いな人は勉強しなくていいよと。
自主的に学ぶことが大切だということですね。
あと女性らしいふるまいを教えていた。きちんとした大人にするための礼儀作法もおしえていたそうです。
教育費にも決まりはない。貧乏人なら払える分だけでいい。
これはかなり平等な考え方かなと思いますね。
収入が少なくて子供を育てらないという話をききますので、これもみならわないといけないなと思います。
欲からの脱却
この3つをもたないことによって楽に生きられるということです。
物を持たない、出世しない、悩まない。江戸時代の人が自主的に考えていたものだったそうです。
当時は長男は家の跡をつぐのが常識。
それ以外は、養子になるか見つからなければ平飯食い。そういう運命を受け入れる。
今回の学び
過去の時代は、時代遅れと考えるのは偏見。
過去の生き方から学ぶことでヒントが得られることもある。偏見の目でみるのは損だなと思いますね。
質疑応答
Q 昔の江戸っ子のイメージは、たとえ助けられて名前をきいても「名乗るほどのものじゃない」といって去っていったといいますよね。
A そうですね。江戸の人はそんな距離感があったということだと思います。
Q 以前子どもの面倒をみていたボランティアをしていたときに、ある子どもを叱ったら「お父さんじゃないくせに」といわれた。今の日本は、地域で育てる、社会全体で育てるという感覚がないのかもしれないですね。
A いまはほぼないですし、自分の子じゃない子を怒ったら怒られる。その結果、子育てに悩む人が多かった。親に何かあったら地域の人が助けるみたいな話があった。夫婦でやるしかない。結果的に苦しくなりますね。
A 一方で、島原みたいな田舎の地域だと社会全体で育てるみたいな印象はありましたね。 席を空けない中学生くらいの子を知らないおじさんが叱ってましたし。都市部だとそんな光景はみない。
Q 江戸時代の美学って肩透かしとかですかね。
A それもあるでしょうね。江戸時代の粋に生きるための本。
Q 隣人の音も筒抜けだったということは、壁が薄いんですね。
A そうです。たとえば、隣の部屋の奥さんがおならした。それを聞いてしまった。それで「この奥さんおならしたよ」っていろんな人に言いふらした。それで奥さんから責められた。周りの人も「聞かないふりをするのが当たり前だろ!」って叩かれたそうです。
Q 年寄りはどうなんですかね?助けていたんですか?
A 困っている人がいれば支え合う。なので年寄りを助けていました。
Q そういえば江戸には勉強嫌いな子も聞いてたんですよね。嫌ってた子は親から行けっていうから行ってたんですかね。
A 寺子屋で学ぶのは必須だったので行かされていたんでしょうね。ただ勉強は強制させていなかったようです。
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