本の概要
今回僕が紹介する『あの偉人は、人生の壁をどう乗り越えてきたのか』という本は、歴代の偉人の人がいろいろ紹介されていまして、比較的最近の人もいまして、全員で41人もいますね。
今回はそのなかで4人ピックアップして紹介したいと思います。
人生の壁を乗り越えた偉人
立川談志
落語界で有名な人。笑点の初代司会者です。あと落語立川竜初代家元です。
この方は落語界では奇抜なことをいろいろやると、過激なことを言うということで異端児と呼ばれていた。落語界で知らない人はいない。
小学5年生のときに落語に興味をもつ。16歳で5代目柳家小さんに弟子入りします。
入門が数年も遅い後輩2人に真打ち試験で抜かれる。真打ちというのは、落語界には厳しい身分制がありまして、真打ちが一番身分が高い。真打ちにならないと落語でとりもできない。師匠と呼ばれたり弟子を持つこともできなくなる。
試験合格の基準もすごいあいまいだった。評価基準もよくわからない。入門が数年も遅い後輩二人に真打ちで抜かれる。理不尽な結果に人生最大の屈辱を味わう。
理不尽な真打ち昇進試験と交差基準に挑戦して、なんとか真打ちになれまして、立川流の創設につながります。
立川さんが言った言葉がありまして、「嫉妬とは、行動を起こさず対象となる人間の弱みをあげつらい自分のレベルまでに下げる行為」とおっしゃっています。
また「現実は正解!現実が事実!現状を理解・分析し、そうなった原因を把握し、処理しろ!それが出来ない奴を俺の基準では馬鹿という!」とあります。
嫉妬じゃ、何も変わらない。現実を受け入れて行動を起こすことが大事なんだと思いました。
フランツ・シューベルト
作曲界で有名。音楽に疎い自分でも名前くらいは知っている。
6歳からヴァイオリンを父親から習っていた。7歳で父を追い抜く才能を見せます。父親では手に負えないということで、教会の聖歌隊に所属しているんですが、寄宿制神学校で音楽を学ぶようになっています。
17歳まで音楽を学ぶのですが、そこで作曲の才能を見せ始めます。このまま作曲家としてなるのではなく、父の勧めで学校の補助教員として勤めるようになります。
でも全くシューベルトは興味がなかったといいます。でもなんとか音楽で食べていきたいと考えていたらしく、音楽教員の応募、宮廷の音楽家・劇場の指揮者の志望は失敗してしまいます。
憧れのゲーテという人にシューベルトは「ゲーテ歌曲集」の楽譜を贈って、評価してもらうとしたんですけど、結果的にゲーテに楽譜を送り返されて完全に無視されます。
でも音楽の道がついえたのではなく、逆に燃えてですね、何もかもうまくいかない状況に力にして作曲に励みます。その結果、教会や歌手に注目され始め、音楽家として独立に成功します。
しかし、かかったら治らないといわれていた梅毒を発症してしまいます。病気の苦しみをまた力にして、作曲にうちこみます。でも31歳で他界してしまいます。
でも600曲以上の曲を残す「歌曲王」と呼ばれます。
長くくすぶり続けている時期は、大きく飛躍する準備期間だということがいえるかなと思います。だからこそ歴史に名を残す人になったのかなと思います。
津田梅子
この人はどういう人かといいますと、日本人の女性で初めて留学した人です。あと津田塾大学の創設者です。日本の女性の地位向上に貢献された方です。
明治時代は、西欧列強に勝たないといけないということで、明治政府は積極的に海外の内容を積極的に取り入れようとしていました。
彼女は6歳で岩倉使節団というところでアメリカに行っています。アメリカ式の教育をランマン夫妻の元で10年受けます。
帰国した後、日本の女性編御扱いに悩みます。海外では女性は外の社会で活躍するのは当たり前だった。でも日本では女性は家事をするのが当たりまえ。
華族女学校の教員として就職します。本来は教養を身に着けるために学校に来ている。でも良い縁談をえるために来ている女性しかいない。女性徒の意識の低さに絶望してしまいます。
そこで再度留学して生物学を専攻します。日本人女性で初めて欧米の学術論文に名前が掲載されます。日本人女性の経済的自立を目的として、「女子英学塾」を創設し、教育界のパイオニアになりました。
絶望や失望は、終わりではない。そこから始める未来があるんだと思いました。
モハメド・アリ
元WBA・WBC世界でヘビー級チャンピオン。うちの父親が大ファンだった。試合とか見たことあるらしいですが、負けたことは見たことがないくらい強かったそうです。
22歳で史上4人目の無敗でヘビー級タイトルを獲得します。彼のボクシングスタイルは力任せで倒すのではなく、蝶のように舞い、蜂のように刺す!といわれていたくらいの軽やかな感じだった。
しかし全盛期にベトナム戦争が勃発します。徴兵を拒否すると、チャンピオンタイトルとボクシングライセンスをはく奪されます。でもなんとかめげずに大学の講演活動でなんとか食いつなぐ生活を送ります。
30歳のときに、ボクシングライセンスを再発行します。ただ30歳はボクシングの世界では厳しく、復帰してからは黒星が続きます。
ですが引退間近と思われた32歳の時に、再度タイトル獲得に成功します。そのため「キンシャサの奇跡」と呼ばれていました。
そのあとは、39歳まで選手を続けて引退します。通算3度のタイトル獲得と19度の防衛成功とうい輝かしい実績を残しました。
人生で最悪の時期をどう過ごすかで、人間の真価が問われるのだと思いました。
本から学んだこと
今の時代テクノロジーも何もかも最先端になっている。
ただ最先端にいるからといって、生きている人間が最先端ではないなということですね。そこは認識しておくべきかなと思います。
自分自身も次の世代に学んでもらえるような生き方をしないといけないなと思います。
質疑応答・感想など
Q 昔と比べたら今の時代は男女平等になっていると思いますが、それはこの津田梅子さんの影響は大きかったと考えていいですか?
A そうですね。今の時代は比較的男女平等ですが、この人の貢献度は高いと思いますね。
Q 自分に当てはまるなと思ったのが、最初に紹介された「嫉妬じゃ何も変わらない」ということですね。自分の中に取り入れないといけないなと思います。
最後の学べることで話されていたように、現代人は昔から学べることはないという意識がある。
たとえば江戸時代の人と比べると自分は賢いと思っている。
これっていうのは、現代人の思い上がりであって、出口治明さんが、巨人の肩に乗るという話をしますけど、いまいる我々は先人の経験とか書物があるからこそ、スタートラインがちょっとだけ先にあると。
たとえば100人の赤ちゃんを山に放り込む。これは今と昔やったとしても同じようなことをすると思うんですね。最後お話しされていた、昔のことから学ぶことについてしっかりと学んでいかないといけないなと思いますね。
A 昔の人よりは偉いという感覚は私にもかつてありました。いろんなことを学ぶうちにだんだん違うなということが思った。先人のおかげでいろいろ知ることができるようになりました。
Q 嫉妬って自分は自分、他人は他人ができないから出てくる問題だと思いますが、日本人はその傾向が強い気がしますね。
A 実はそれはあまり関係ない。嫉妬の強さは世界共通です。今回モハメド・アリについて紹介しましたが、彼は黒人ということで最初は差別受けていた。活躍していても周りから嫉妬されていたようです。
なので嫉妬は人間の本質的なもの。
Q モハメド・アリは嫉妬されながらもそれを乗り越えていったんですかね。
A そうです。有無をいわさず強くなりまくった。出る杭は打たれるといいますが、出過ぎた杭は打たれない。
A 嫉妬されるのは、認められているということでもあるんですね。
A もし嫉妬されたら、出すぎるまで続けていくしかない。
A そう考えると、モハメド・アリはメンタルも強い人ですね。
2023/06/18
・真山知幸『あの偉人は、人生の壁をどう乗り越えてきたのか』
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