本の概要
マイケル・サンデルさんの本で有名なのは、『これからの「正義」の話をしよう ──いまを生き延びるための哲学 』という本があってですね、彼は究極の選択というものを突き付けてくる有名な本なんですけど、このマイケルさんの話題作が『実力も運のうち 能力主義は正義か?』ということで買いました。
今回この本の第1章について紹介したいと思います。
グローバリゼーションは不平等
能力主義(メリトクラシー)というのはどういうものかということなんですが、この本ではアメリカの話を例にして説明されています。
今グローバリゼーションの時代ですけど、不平等という問題がありますね。
世界的に不平等というのは発生していまして、1970年代後半以降のアメリカでは、収入の大半が上位10%の人々の懐に入っている。
こんにち最も裕福な1%のアメリカ人の収入の合計は、下位半分のアメリカ人の収入をすべて合わせたものよりも多いということなんですよね。
アメリカ人が不平等に寛容な理由
アメリカ人の70%は、どうやら「貧しい人々は自力で貧困から脱出できる」と信じているようです。
なぜなら、無一文からお金持ちになることは可能であると信じているからだそうなんですね。
主流派の政党と政治家は、「機会の平等」に訴えることで、拡大する不平等に対処し、実際にオバマ大統領は “You can make it if you try” とスピーチなどでそのフレーズを140回以上も使用したようです。
個人の努力による出世は非現実的
アメリカ人は、「才能や努力によって出世できる」という信念を持っているようです。
それがいいのかどうかということですけれども、「才能が有ればだれもが出世できる」というのがまずもって「現場の事実にそぐわない」ということをマイケルさんは書いています。
所得規模で下位5分の1に生まれた人々のうち、上位5分の1に達するのは約20人に1人にすぎない。
ハーバード大学やスタンフォード大学の学生の3分の2は、所得規模で上位5分の1にあたるとあります。
能力主義について
道徳的問題
ここで能力主義というのは、「社会的地位は努力と才能の反映であるとするもの」とあります。
これに対して著者のマイケルさんは、「完全な能力主義でさえ満足のいくものであるかどうかは疑わしい」と述べています。
能力主義は、才能がないというのは自己責任で片づけていいのかというのはありますね。
市場がたまたま高く評価してくれる才能に恵まれていない人々よりも多くの報酬を受けるに値するのはなぜだろうかということになります。
これについて、私は色んな意見があってもいいと思います。
社会的問題
能力主義がもたらす社会的問題には、「社会的絆に及ぼす腐食効果」があると述べています。
能力主義の倫理は、勝者に対してはおごり、敗者に対しては屈辱をもつというので、その結果で、社会的絆が壊れていくんだということですね。
勝者は、成功へと至る途中で助けになってくれた幸運、偶然性を忘れて、自分より成功していない人を見下す。
出世できなかった人々は、「責任はすべて自分にある」と感じる。
その勝者と敗者の間に溝が深まっていく。これが問題ではないかとマイケルさんが主張しているのが私は新しいと思いました。
その著者は、勝者と敗者の間に溝が深まっていることは、今日われわれが目にしている状況だとしています。
敗者はたとえば現場で頑張っている単純作業をやっている人とかですが、格差に繋がっているんじゃないかということですね。
政治のほうも行政機関というか、結構アメリカだと企業のロビイストが行政機関に入ったりするので、こういったことを話しているんだと思いますね。
それで下にいる人たちが社会はからわらないということで、民主主義が形骸化すると述べています。
質疑応答・感想など
Q マイケルさんは、社会を良くする根本的なものについても書いているんですか。
A 著者は能力主義をですね、その考え方が社会に広まっていくとどんどん悪くなっていくので、そこに歯止めをかけてる必要があるということを述べていますね。
能力主義にストップをかけるための新しい主義が必要だということでしょうね。
Q マイケルさんは自身の考え方は持っているんでしょうかね。
A まぁーこの人はですね~。第7章まで読むと、「労働を承認する」とあるんですよ。「労働の尊厳を回復する」もありますね。
「能力主義は、受験がコネとかで入る人が出てくると歪んだ感じになる」ともありますね。
A アメリカはそうなんですね。でも日本であれば受験は平等だとは思います。
Q うーん私は日本も受験は不平等な気がします。
そもそも経済的な理由で塾に行ける人と行けない人がいるじゃないですか。
塾に行けない人はお金がないのでアルバイトしている人も多い。すると勉強する時間がとれないので結果を残すのが難しくなる。
結果が出たとしても、それは平等な結果ではないと思いますね。
そこで素朴な疑問なんですけど、純粋に能力主義で評価するためにはどうすればいいのかなって思って。
A あーこれ脳科学者の茂木健一郎がね、点数が高い順ではなく、人で選ぶといってたなぁ。
例えば大学生とかOBとか医学の学校に行ってたら、点数の高い人ではなくて、現場の人からどういう人がほしいのか知る。現場の人がいいなという人を集める。
A 純粋な能力主義をとりいれたいなら、人が人を選ぶという単純なところに落ち着くのかもしれませんね。
A でも逆にコネの問題も出てくるでしょうね。能力だけではなく人を見るというのもあると思いますね。
A 偏差値がすべてだと思って受験してる人もいますからね。
そういうものじゃないのにしないといけないと思います。
A ただそういう社会は徐々になくなっていくところはあると思いますね。昔みたいに、東大出てれば安泰というわけではない。
A 結局人が幸せかどうかって、自分の能力をフルに活用できてる状態が幸せじゃない?そこを伸ばしていく学生が一番伸びる時期にさ。
ある生徒は芸術とかで極めて行きたいのに、関係のない数学とか英語とかをしないといけないとかで能力を潰すのはよくないと思いますね。
ほかに音楽的な要素を伸ばしたい生徒なら音楽に時間をかけるのがいいと思うなぁ。
A ただ数学や英語を受験できるのはいいことだとは思います。
受験自体は無駄かというと、あの経験を通してどう考えるかだと思いますね。
受験って、そういった感性を磨くというのは無駄ではないと思いますね。
A 経験と自分の感性を掛け合わせて考えていきたいですね。
A 受験だけで人生が決まるわけではないという方向性に行くのはいいと思いますね。
A まぁ受験も不平等だけど、学生の時は気づけないんだよなぁ。見えない恐怖はあると思います。
A 僕は受験に負けた側ですけどね笑
A 受験もそうですが、勝者の話しか聞かないというのはまずいと思いますね。
A 社会って、政治がエリート社会で動いているというか、お金持ちが世の中を動かす社会だと思いますね。政治の人って人間性に問題がある人って多いと思いますね。政治の世界に入ると人間が腐っていく。たとえ社会で負けても上がれる仕組みがあるといいでしょうね。
A 政治家が失言しただけで叩くのはやめたほうがいいですよね。
A 学ぶのは楽しいよね。時間があれば大学に行って学んでみたいですね。
ただ今僕の40代くらいの年齢だと、大学に行きにくいんだよなぁ笑
A 私は別にいいと思いますけどね。
Q 今回勝者とか敗者とかの話が出ましたけど、社会って椅子取りゲームなんでしょうか?
A まぁそうだと思うなー。
A 椅子取りゲームでしょうね。
Q これってさ、俺は別に偉くなりたい願望とかってないんだけど、上に行きたい人が多いってこと?
A 一つ言えるのは、今の時代上にいけば言いたいことが言えるということでしょうね。
上に行けば行くほど自由になれる。お金が稼げるというのももちろんあると思うんですけど。
A 俺がいいと思うのは、能力が高ければ、自分の能力でまわりを支配してしまうという状況が、自分の目的のために自分のフィールドに取り込むことができる人が一番な気がします。
Q 収入とか関係なく?
A 収入とか関係なくですね。場を支配している人が幸せ。
じゃあ支配されている人は幸せじゃないというわけではなく、支配されているほうも自分の能力を発揮できているのであれば幸せ。
価値観が折り合わさっていければいいですね。
いろいろ経験して自分の能力をあわせて、いい結果を出せればいいですよね。
A これだけ不平等が広がっていくと、なかなか能力主義を前向きに捉えられないという気持ちが強くなってしまうんじゃないかっていうね。
A 理想は、2人の能力を足し算引き算で考えるんじゃなく、うまく掛け算して組み合わせできればいいですよね。
A マイケル・サンデルの本は面白そうですね。読んでみようと思います。
「能力主義」「実力主義」の不平等について分かりやすく説明した有名な動画がありますよね。4分ほどの短い動画なんですが、刺さる内容です。
A 自分の力でコントロールできない面があるにも関わらず、平等に判断した結果として序列や評価が決まっていく社会は色々と考えさせられますよね。
A そもそも教育の機会が平等でない事実がありますよね。
安心できる家庭環境とかもそう。
そこらへんに目をつぶって能力をはかるのナンセンス。
本当の能力って、純粋に評価って不可能な気がします。
報酬を分ける時だけ人=チームメンバー同志で 時間を区切って人を評価するのが妥当なのかしら?
A カヤックのようにサイコロで給料決めるのも悪くないかも。
A サイコロ評価は人事の責任放棄だと思うので、昇給基準を別な形で明確化するのがいいと思います。
評価には基本的に大きく上司の主観で決まる定性評価と、客観的に数値化できる評価である定量評価の2つに分けられますが、数字による評価で給料が決まる定量評価を取り入れている会社ほど組織的には健全で良い会社だとされています。
ただ残念ながら、定性評価の会社って多いんですよね…。
個人の主観で決まる定性評価だと、ごますりとかで評価が決まってしまいます。
明確な基準があって適切に評価される会社にいたいとか、社会に貢献したいとかで仕事を選んだ人は、転職や企業を考えたほうがいいかもしれませんね。
A サイコロは、カヤックの平均在籍年数は3.7年なので、ここまで出入りが激しいと、放棄したくなるのもわかりみ…。
でも、確かに放棄はよくないですよね。
A 能力以外で評価って必要???って素朴な疑問あります。
で、その評価のせいでチームワークの和が乱れがちなので、難しいですね。
A 以前読んだアルフィ・コーンの『報酬主義をこえて』も変な競争がそもそも良くない気がします。
その不平等な競争の成果を評価してるから、ますますみんな病むでも、コロナ後の世の中でこういうの気づいた人も多いし、やっとこれから変わってくんじゃないかと思ってます。
能力=評価=報酬(給料)と連想ゲームしてしまう、私自身も病んでるかもしれません。
A 悲しいかな。そもそも日本は色々しがらみがありすぎて能力主義さえ本当に云々出来るレベルなのか?と思います。
アメリカはまだまだ、性差別や人種差別、LGBTQ +などありますが、良くも悪くも多様性があります。
今の所、競争原理は人間の本性に則した形だとは思います。
いつかは、最適な再分配やベーシックインカムが実装出来ればいいと思います。
A サンデルの本について紹介した動画も面白かったです。
2022/11/29
・マイケル・サンデル『実力も運のうち 能力主義は正義か?』
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